アートの紙魚/Art Topic

2025年2月 6日 (木)

松本莞著『父、松本竣介』みすず書房

松本莞著『父、松本竣介』
松本竣介の次男による評伝が先月刊行されたそうだ。本の表紙には、愛着ある《Y市の橋》(1944年頃)。
絵ではわからないが、奥は横浜の港があり、橋は薄暮に包まれている(ように見える)。港に沈む柔らかな夕陽の光で、男がシルエットになっている。
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2018年11月に模写した《Y市の橋》。
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2025年2月 5日 (水)

図録 Dentro y Fuera, las dos caras del informalismo español en las colecciones del Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía/ソフィア王妃芸術センター所蔵 内と外ースペイン・アンフォルメル絵画の二つの『顔』

2013年から2014年にかけて国立西洋美術館で開催された「Dentro y Fuera, las dos caras del informalismo español en las colecciones del Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía/ソフィア王妃芸術センター所蔵 内と外ースペイン・アンフォルメル絵画の二つの『顔』」の図録書影

「ソフィア王妃芸術センターのコレクションの最も重要な分野の一つは、スペインのアンフォルメル芸術である。スペインのアンフォルメル芸術は、フランコ独裁政権下ー内戦終結の1939年から75年のフランコの死まで続くーにおいて認められなかった前衛的精神の回復の象徴であり、その歴史的意識と生み出された作品の高い質から評価されている。」(ソフィア王妃芸術センター絵画部部長ベレン・ガランが図録に寄せた論稿より)

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2025年2月 4日 (火)

詩人新川和江の生誕の地 茨城県結城市

本来であれば、新川和江の詩の朗読会を行う前に、訪ねておくべきだったが。

現在仮住まいしている茨城県境町から車で約40分の結城市。

新川和江は、1929年4月22日、茨城県結城郡絹川村小森(現、結城市)に生まれた。

1942年に県立高等女学校(現、茨城県立結城第二高等学校)に入学する。17歳で新川淳と結婚。1948年、東京・渋谷に移り住む。日本現代詩人会と茨城県詩人協会に所属する。

2004年にゆうき図書館の名誉館長就任。2024年8月、95歳で逝去。

初めて訪れた結城は穏やかな日差しに包まれていた。

結城蔵美館は、蔵を改造した街角美術館と歴史資料館を兼ね備えたこじんまりとした展示施設。「見世蔵」という蔵であったのを改修し、2013年に開館した。

同館は、結城市出身若しくは居住の若手美術家の作品展示を行う「本蔵」と、同市の歴史資料を展示する「袖蔵」とで成り立っている。「本蔵」では時節柄、ひな人形の展示で、戦前から戦後のひな人形のオンパレードだった。来月3月からは、銅版画作家の西村沙由里さんの展覧会が一ヶ月間の会期で開催される。

「袖蔵」では、鎌倉幕府に仕えた結城家初代当主の結城朝光から18代秀康までの、同家の興亡、古絵図、古文書などを、レプリカや写真資料を含めてコンパクトに解説、展示されている。同館の目玉展示は、「御手杵の槍」と言われた17代当主晴朝の愛槍で、天下三名槍の一槍として知られているそうだ。結城家の象徴で家宝であったこの槍は、残念ながら昭和20年の5月25日の東京大空襲で焼失し、展示されているのはレプリカである。因みに、「御手杵の槍」の銘の由来は、鞞が餅つきの杵の形と似ていることから。

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以下は、「袖蔵」の結城家縁の展示品の数々。

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結城市は言わずと知れたゆうき紬の地である。結城蔵美館のスタッフに、紬を見学できるところを教えてもらった「つむぎの館」は休館日だった。そこで訪ねたのは、結城紬を紹介する郷土館へ。資料室となっている1階には、結城紬の歴史、制作工程、道具類、製品などを展示。2階で実際の機織り機で絣を織っている現場が観られる。織られた絣は商品として販売しているそうだ。

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新川和江の痕跡を訪ねての小さな旅だったが、観光マップを見てもそれらしきものはない。

結城駅近くにある観光協会に向かう。正確には、結城市観光ボランティアガイド協会の観光案内所。ゆうき図書館が入っている結城市民情報センターの一角にある。

新川和江がゆうき図書館の名誉館長に就任してから何度も会っているというお年を召した女性が応対してくれた。2008年にゆうき図書館開館5周年記念に、新川和江賞が設けられ、その選考に新川は当たっていた。

そして、その女性から案内されたのは、市民情報センターの敷地に立つ石彫。新川が寄贈した石彫だった。顔立ちはなんとなく新川にも似ている。その石彫は鶴見修作による作で、鶴見は藝大出で、五百羅漢像を制作している。

痕跡の旅は、この石彫のみで終わったが、銅版画作家の展覧会の時にもう一度訪れてみようと思う。

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昼ごはんは、多むらという蕎麦屋で、おかめそばを。

うわー。コッペパンがのっている。いや、でっかいお麩でした。

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以上

2025-02-12更新

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2025年2月 3日 (月)

“二月のうた” 新川和江の詩の朗読会@第2回さかいまち国際児童画展

この朗読会は、第2回さかいまち国際児童画展(茨城県境町役場主催)の関連イベントとして企画、開催した。

2月2日(日)午前10時15分過ぎからスタート。前日にでた雪予報は、朝からは雨に変わっていた。

会場は、S-Gallery粛粲寶美術館に隣接する施設のセミナー室。

 

詩を朗読していただいたのは、境町の隣町の八千代町の図書館で読み聞かせ活動する八千代よむよむクラブの二人と境町民の一人。

参加者は、三組の家族の7人。募集予定とした十組二十名には至らなかったが。

八千代よむよむクラブの他のメンバーたちと、日本現代詩人会と茨城県詩人協会のそれぞれの理事長たちが朗読会を見守る。

 

朗読する詩は、新川和江の『幼年・少年少女詩篇』。新川は1970年代にこの詩篇を書き始めている。

朗読者は、朗読者自身に選んでもらった三篇の詩をそれぞれゆっくりと二回繰り返し読む。

一篇読み終えるごとに、短いコメントを自分から加えた。

この朗読している間、こどもたちの心に、新川和江の作品が染みこんでもらえたら嬉しい。

おおよそ30分ぐらいの朗読が終わると、参加者たちは、第2回さかいまち国際児童画展の展示会場に移動。

 

展示中のこどもたちの絵から、気になった絵を選んで、その絵から感じたことを、詩にしてもらう。一行詩でもいいし、二行詩でもよい。

展覧会会場で書いてもらったり、朗読会場で書いてもらったり。

 

そして、自作詩発表の時を迎えた。作者自身による自作詩の朗読。

絵の観た様(さま)を飾ることのない叙事詩に表したと言える。

なかには、新川和江に迫る詩を書いたこどももいた。

 

今回の“二月のうた”新川和江の詩の朗読会は、絵(美術)と詩(文学)が交感し合うきっかけとなる場として企画した。美術を観る目が拡がること、また詩を読む聞くことからのイメージ(図像)の拡がりを楽しんでもらえればと思う。無論、音楽の領域においてもそう考える。古来、美術家、詩人、音楽家たちには、そのような領域交感する深層意識を持ち得ていると考える。

 

朗読した詩

《朝のおしゃべり》《ふーむの歌》《二月のうた》

《呼んでいる》《いっしょうけんめい》《ぽんかん》

《先生に》《花の名》《元旦》

いずれも『幼年・少年少女詩篇』より

 

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"二月のうた" 新川和江の詩の朗読会

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第二回さかいまち国際児童画展入選作品

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第二回さかいまち国際児童画展入選作品

 

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朗読会を終えて抹茶で一服の時

 

第二回さかいまち国際児童画展
2月24日(月・振替休日)まで開催中
S-Gallery粛粲寶美術館(茨城県境町)



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2025年1月 4日 (土)

さくらももこの詩画集

さくらももこが、高校生時代から”ぽかんとしていたり、ごろんとしていたとき”に書留めていた詩を、イラストとともにまとめた詩画集。

日常で感じる素直な気持ちや自然現象、そしてちょっと哲学的な瞑想を、詩形式に綴っている。

国際児童画展の関連イベント、新川和江の詩の朗読会で、この詩画集の一部引用してみようかと思っている。

明日最終日となる、森アーツセンターギャラリーのさくらもももこ展には、詩画集の原画挿絵と自筆の詩が展示されている。
挿絵は、黒い画用紙を白く塗り、その上からペンで描いている。

さくらももこ展
森アーツセンターギャラリー
2025年1月5日まで
会場写真はプレス内覧会にて撮影

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2024年12月24日 (火)

Kazuya Sakai/酒井和也

日本人の血をひくKazuya Sakaiは、1927年アルゼンチンのブエノスアイレス生まれの画家。画家として以外にも、デザイナー、ラジオのパーソナリティ、翻訳家、評論家、編集者という幅広い領域で活動を行った。

Kazuya Sakaiの両親は息子を日本で学ばせるために1934年日本に送り出す。そして早稲田大学文学部に入学する。

アルゼンチンに1951年(1952年という記録もある)に帰国。帰国後は日本文化の普及に努めた。芥川龍之介の『河童』をはじめとする日本の文学作品をスペイン語に翻訳するという、文学にも長けていた。

1966年米国に短期間滞在ののち、メキシコに移住し、1977年まで住む。メキシコのColegio de Méxicoの教授として迎え入れられる。Octavio Pazが創刊した『Plural』誌の編集長も務めている。

メキシコ滞在を経て、米国のテキサス州のダラスに移住。同地で2001年没。
酒井の日本滞在時、白髪一雄をはじめ具体の作家たちの作品に触れ、Kazuya Sakaiの初期の作品にはその影響がみられる。

日本で展覧会ができればと思うが。

作品(順番に)
Kazuya Sakai. Sin título, óleo sobre tela, 96 x 130 cm, 1960. La Galería Jorge Mara • La Ruche

Kazuya Sakai. Sin título, Oleo sobre tela, 45,5 x 55 cm, 1962. La Galería Jorge Mara • La Ruche

Kazuya Sakai. Sin título, tinta sobre papel, 53 x 39 cm, 1960. La Galería Jorge Mara • La Ruche

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2024年12月11日 (水)

被団協のノーベル平和賞受賞とゲバラと広島


今年のノーベル平和賞を被団協が受賞されたことは嬉しく思います。


被団協の運動の長い歴史を思うと時間が掛かったと感じるが、現在のウクライナ・ロシア、パレスチナ・イスラエルの最悪の状況を思うと、為政者たちへの警告となることを強く願わざるを得ない。


最初の写真は、2017年に広島の原爆資料館を訪れた時に買った陶製の折り鶴。


この年、広島市を訪れたのは、展示協力をさせていただいた「広島・キューバ展」を観に行くためでもあった。会場は、元日銀広島支店。


チェ・ゲバラは、キューバ革命から半年後の1959年7月に来日し、予定になかった広島市訪問を果たし原爆慰霊塔に献花をしている。


ラテンアメリカ美術研究者の加藤薫さんは、2014年に「イコンとしてのチェ・ゲバラ: 〈英雄的ゲリラ〉像と〈チェボリューション〉のゆくえ」を上梓してまもなく亡くなられた。加藤先生が同書執筆するにあたり、自分もわずかながら協力させていただいた。


「広島・キューバ展」のことを聞き、「イコンとしてのチェ・ゲバラ」を執筆するために、加藤先生が蒐集した写真資料等の展示を同展の実行委員会に申し出させていただいところ、快く承諾いただいた経緯がありました。

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2024年9月30日 (月)

フォーラム「子どもの居場所・学び場と文化芸術のまちでの交点」@アーツコミッション・ヨコハマ(ACY)

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ACY(Arts Commission Yokohama)が開催したフォーラム「子どもの居場所・学び場と文化芸術のまちでの交点」に参加しました。会場は、横浜市庁舎にある横浜市市民協働推進センター。2024年8月22日に開催。

本フォーラムの趣旨は、ACYから以下の通り引用します。

「子どもや若者がコミュニティの中で育つ機会が減るなか、青少年や子どもの居場所が一層求められています。また、STEAM教育や教科横断的な学習は学校に限らず増えています。文化芸術に関わる活動は、これまでも地域の中で副次的に居場所や学びの場として機能していましたが、さらに学校や家庭以外の教育や社会包摂の場となる可能性を秘めているのではないでしょうか。本フォーラムでは横浜や全国各地の実践を紹介します。今回は特に中高生の年代との活動に焦点をあて、登壇者に活動に携わっている10代の方々もお招きします。子どもの居場所・学び場づくりに文化や芸術がどのように関われるかを考え、今後の展望や新しい視点を得られることを目指します。」

 

 フォーラムに登壇した三団体は以下の通りです。

① 水戸芸術現代美術センター「高校生ウィーク」(茨城県水戸市)

② 特定NPO法人こころのまま「心のままアートプロジェクト」(静岡県沼津市)

③ Art Lab Ova「横浜パラダイス会館」(神奈川県横浜市)

 本フォーラムのモデレーターを田中真実さん(認定NPO法人STスポット横浜 副理事長・事務局長)が務めました。

 

水戸芸術現代美術センター「高校生ウィーク」(茨城県水戸市)

 水戸芸の教育プログラムコーディネーターの中川佳洋さんから、水戸芸が1993年から始めた「高校生ウィーク」の始まりと今までに至る経過の説明がありました。

 一年間何度でも現代美術ギャラリーの展覧会を鑑賞できるハイティーンパスを導入するにあたって、もっと多くの高校生に水戸芸の展覧会に足を運んでもらいたいという目的で導入したのが「高校生ウィーク」。どういったものかというと、水戸市内16校を対象に各校に一週間ずつ無料招待するというもので、1993年に開始した。2000年から「高校生ウィーク」の拡大期に入り、「ポスタープロジェクト」がはじまりました。高校生ウィークのポスターを水戸芸スタッフと高校生で共同制作を行う。さらに、水戸芸の企画展の無料招待ポスター制作にも高校生が関わり、「ポスタープロジェクト」から「広報プロジェクト」へと少しずつ衣替えをし始めていく。

 広報プロジェクトから進化し始め、ワークショップスペースがカフェ(コーヒーやお茶をセルフサービスで飲める)として開放され、「高校生ウィーク」の期間中、15時から17時半まで、さまざまなプログラムを用意し、高校生が鑑賞者たちとが出会う場となる。「高校生ウィーク」の活動は,、そのままの名称を残し、展覧会と連動したワークショップや部活動など、さまざまなプログラムが行われる「カフェ」 をギャラリー内に設置し、その運営スタッフも高校生を含めた多世代(15才以上、大人も含める)に渡り現在でも行われています。

 中川さんに引き続いて、高校二年生の時「高校生ウィーク」に参加し活動を行い、現在都内の美術大学に通っている大木花帆さんが、「高校生ウィーク」との出会いと体験を語ってくれた。

 水戸芸のタワーを見ながら育った水戸生まれの大木さんは、最初は2013年水戸芸の演劇部門のワークショップに参加したあと、「高校生ウィーク」カフェが現代美術ギャラリー展示の奥にあることを知り、そこで楽しく工作できる場所ができることも知ったそうです。

 大木花帆さんは、高校時代の春休みの期間に友人たちと何度も「高校生ウィーク」カフェに通っていました。美術の場所というより、自由に工作ができる楽しい場所だと感じていた。水戸芸は、演劇、音楽、美術があり、たくさん入り口があるので、それらに関心を持っていない市民にも開かれている身近な場所だなと感じた。毎夏こども向けの美術や音楽、演劇のワークショップに参加していた。水戸芸の現代美術は遠いイメージがあったが、こどもの頃から通って身近な場所となり、公民館みたいな場所だった。

 大木さんが、「高校生ウィーク」に参加したのは2019年の3月と10月、スタッフとしてカフェの活動に参加した。参加した理由は、水戸芸は市民に開かれた場所であり、こどもの頃から通っていた場所でもあったからということでした。カフェというオルタナティブスペースで仲間と企画を立てたりした。「高校生ウィーク」カフェは人と出会う場所で、展覧会に観に来た大人を含めた鑑賞者や展覧会の作家とフラットな関係を持てる場所だった。美大の先生やギャラリーのスタッフは最初から立ち位置が決まってしまっているが、「高校生ウィーク」カフェでも多少は互いに紹介しあうが、同じ場所や空間を共有しあっていることだけでも仲良くなれた。それから5年は経ったが、現在でもカフェで知り合った人々とは交流が続いている。

高校生ウィーク2024 人とアートに出会う5週間|現代美術ギャラリー|水戸芸術館 (arttowermito.or.jp)

 

② 特定NPO法人こころのまま「心のままアートプロジェクト」(静岡県沼津市)

特定NPO法人こころのままの理事長の沼田潤さんから活動紹介。

 「アートを通じて地域とつながる、地域をつなげる」を合言葉にして活動している特定NPO法人こころのままの母体は、特別支援学校などに通う様々な障害を抱えた子どものお母さんのコミュニティである「障害者のしごとを考える母の会」です。

 2020年度から開始した「心のままアートプロジェクト」は、本来は外で大きな作品を作るワークショップを予定していましたが、コロナ禍の影響により、医療ケアが必要なこどもたちが利用する施設とオンラインで結び活動してきて、少しずる活動を変えながら、現在は地域の高校生が主体となって、様々な障がいを抱える生徒や児童をサポートしながら表現活動と交流活動を行っている。

 アートプロジェクトを始めたきっかけは、主に知的障がいや視覚障がいのこどもを抱えるお母さんたちが集まって、こどもが好きなこと、得意なこと、自分らしく過ごせることを見つけて、一人一人に役割を作っていこう、将来の仕事に繋げていこうという活動を行ってきた。

 沼田さん自身、知的障がいを伴う自閉症の息子の母親で、息子は現在19歳になっている。数ある課題のなかで、親がいなくなったあと、こどもたちはどう生きていくのか、同じ悩みを持つお母さんたちがやるべきことが見えてきた。

 自分たちのこどもは、言葉でのコミュニケーションは苦手ではあるが、自己表現する力はとても豊かだ。親子で出来る楽しめる活動をしている。私たちなりの文化芸術活動を「心のままアート」と呼んでいる。ほとんどのこどもは特別支援学校に通っています。その特別支援学校を知ってもらう「心のままアート」展を毎年開催しました。

 まず地域の高校生とアートで交流を図り、いろいろな環境で障がいを持つこどもが育つことで自然と互いを受け入れて理解が深まると思った。どうしてもイベントに福祉関係者がばかり集まりがちになるので、まず一緒に楽しんでくれる地域のこどもたちを増やしていこうと考える。静岡県の土木課の協力を得て、工事現場の仮囲いをお借りして、壁を使ってペンキの水鉄砲や水風船でフラッシュアートを、オンラインで医療ケアが必要なこどもが利用する施設を結んで、それぞれの場所でペンキだらけになって楽しんだイベントだった。

 その時に参加してくれた静岡県立の美術部の高校生たちも楽しんでくれたことを後輩たちに伝えてくれて、翌年から私たちのプロジェクトに高校生達が参加してくれるようになった。2022年からは、静岡の県立の高校生たちが授業の一環としてワークショップに参加してくれている。先輩から後輩に受け継いでいく高校生たちと障がいを持つこどもたちとのワークショップは現在でも続いている。支援する側、支援される側ではなく一緒に楽しむ仲間になってくれていることは親としても嬉しく感じている。共に豊かな時間を過ごせている。達成感を得るプロジェクトに参加したことで、障がいを持つこどもにとって、進路に影響を与えていると思うと親としてこみ上げるものがある。

特定NPO法人こころのままの理事長の沼田潤さんのお話の後、引き続いて、静岡の県立高校生の体験話がありますが、ここでは割愛します。長文になるので。

特定非営利活動法人こころのまま | 沼津に拠点を置く特定非営利活動法人こころのままのWEBサイトです。特別支援学校などに通う様々な障害を抱えた子どものお母さんのコミュニティである「障害者のしごとを考える母の会」から誕生しました。障害児者の生活の質の向上や働く環境の整備に寄与してまいります。 (kokoronomama.jp)

 

③ Art Lab Ova「横浜パラダイス会館」(神奈川県横浜市)

蔭山ヅル(アーティスト、Art Lab Ova「横浜パラダイス会館」主宰)
スズキクリ(アーティスト、Art Lab Ova「横浜パラダイス会館」主宰)

 前二つの団体の報告と比べ、Art Lab Ova「横浜パラダイス会館」を主宰する蔭山ヅルさんのお話はハチャメチャに面白く、なかなか文字起こしできずらいので、筆者から見た、Art Lab Ova「横浜パラダイス会館と蔭山ヅルさんのことを書き綴ります。

 Art Lab Ovaが運営する「横浜パラダイス会館」がある場所は、繁華街の伊勢佐木町の通りの裏通りの若葉町です。伊勢佐木町と若葉町一帯は、戦後、米軍に接収され、米軍の飛行場がありました。伊勢佐木町は戦前からある繁華街ですが、そのど真ん中に米軍飛行場があったということです。横浜パラダイス会館の隣に、映画館「ジャック&ベティ」があり、この映画館の前身は、横浜日劇でした。

 この若葉町一帯には、東南アジアやロシアなどの外国籍の住民家族が数多く住んでいます。全校生徒数(約600名)の約半数を外国籍若しくは海外ルーツのこどもたちが占める南吉田小学校もその近くにあります。この小学校の運動会で行う場内放送アナウンスは、母語を話すこどもたちが受け持っています。

 このような環境の地域で活動する、横浜生まれの蔭山ヅルさん(武蔵野美術大学油絵学科卒)は、「横浜パラダイス会館」を拠点に若葉町という下町の狭間で「場」や「出来事」を通じて「関わり」を探るアートプロジェクト活動を行っています。

 美大をでた蔭山ヅルさんは、横浜パラダイス会館で絵画教室も開いているほかに、こども食堂、隣にある映画館ジャック&ベティとのコラボプロジェクトなど行っています。若葉町に住む外国籍のこどもやその親たちの相談をボランティアで受けています。

 横浜パラダイス会館では、定期的にブラジル炭火焼肉ガウシャの露店を出しています。その料理人は、ブラジルのアマゾン帰りの方で、「ガウジイ」(東京造形大学 芸術学部彫刻科卒)と呼ばれています。「ガウジイ」のブラジルフォークアートコレクションは見逃せないです。ヅルさんと交流があった「金魚おじさん」はとてもユニークなアーティストです。愚生も山下公園や伊勢佐木町通りで何度も見かけました。ヅルさんの話のなかで、この「金魚おじさん」は今年6月に89才で亡くなられたこと知りました。

「帽子おじさん」を紹介するウィキペディア
宮間英次郎 - Wikipedia

 こうやって整った文章で、パラダイス会館と蔭山ヅルさんの紹介をしてきましたが、ユニークな活動と、ヅルさんのはっしゃけた話を聞けました。

 以下のリンクは、キユーピーみらいたまご財団 の2019年度助成金を受けた時の、同財団の紹介サイト。
2019年度助成団体 | キユーピーみらいたまご財団 (kmtzaidan.or.jp)

以上

 

 

 

 

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2024年8月 2日 (金)

建物倉庫でのピックアップ

天王洲にある建物倉庫のピックアップの立ち会いで出向いた日(7月31日)の一景。
建物倉庫前の植え込みの蝶の舞。
動画にすればよかった。
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2024年1月21日 (日)

«El ingenioso hidalgo don Qvixote de La Mancha»の初版

今を去ること、419年前の1月16日に、«El ingenioso hidalgo don Qvixote de La Mancha»の初版が刊行されたそうです。
ウィリアム・ホガース
ドン・キホーテ3番
ドン・キホーテは床屋の洗面器をマンブリーノの兜と思い、掴む
1738年
エッチング、エングレーヴィング
市立伊丹ミュージアム
William Hogarth
Don Quixote: Don Quixote Seizes the Barber's Bason for Mambrino's Helmet
1738
Etching and engraving
Itami City Museum of Art, History and Culture
「スペインのイメージ 版画を通じて写しに伝わるすがた」展
国立西洋美術館(2023年)より
書影は‎ 白水社の新装復刊版の「ドン・キホーテ 」(1998年、会田 由 、大林 文彦 編訳)。
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