二代目"ARTésimo"にブログ移行
下記にブログを移行しました。
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1896年に開館したブルックリン博物館(ニューヨーク市ブルックリン区)の収蔵品は150万点を超えている。モネやドガなどの印象派の絵画や、浮世絵のコレクションが充実している。
なかでも、古代エジプト美術コレクションは、彫刻、レリーフ、絵画、土器、パピルスなど、1200点を超える貴重な作品を有し、特に実物のミイラや埋葬の儀式に関連する品々が並ぶ「ミイラの間」は、永遠の命を確実にするために体を保存を必要とする古代エジプトの信仰心を探求する展示として、博物館の人気スポットとなっているという。
本展では、ブルックリン博物館の古代コレクションから、彫刻、棺、宝飾品、土器、パピルス、さらに人間やネコのミイラなど約150点の遺物を通じて、人々がどんな暮らしを営み、何を食べ、何を畏れ、どんな言語を話し、何を書き残し、ピラミッドがどのようにして造られ、ミイラに託されたメッセージとは、そして死後の世界とは、などなど「知っているようで知らない事実」が解き明かされるかもしれない。
貴族の男性レリーフ
前1292~前1075年頃 出土地不詳
石灰岩、顔料 51.3x43.8x7.62cm
高貴な衣装をまとい、複雑な巻き髪とロータスの花のついた紐帯から成る、凝ったかつらをかぶっている。新王国時代のエリート層の墓に描かれたレリーフのうち、供物を捧げる場面の典型的な装い。レリーフの左側にはシストラム(ガラガラに似た楽器)と花を持つ女性の手が残っている。
ニカーラーとその家族の像
前2455~前2350年頃 サッカラ(推定)
石灰岩、顔料 57.5x36.8x27.7
彩色された石灰岩で彫られたこの家族の像は、<穀物倉の書記の監督官>であるニカーラーが座り、その両脇に<王の知人>の称号をもつ妻カウネブティと、<穀物倉の書記>である息子アンクマーラーが立っている。
椰子のサンダル
後3世紀~4世紀 出土地不詳
椰子の葉、ガラス、染料 27.7x6.7x2.2cm
エジプトにおけるサンダルの起源は少なくとも紀元前4000年までさかのぼる。サンダルは生前も死後も着用され、後の時代にはあらゆる階層の人々にも使われたと考えられる。植物の繊維や皮から作られ、最も質の良いサンダルは通常、工房で製作された。
ベス神の顔をかたどった壺
前522~前332年 サッカラ(伝)
粘土、泥漿 17.2x10.4
守護神ベスがうなっている顔が描かれた壺。ベスは家族を見守る神であるため、このにらむようなベスの顔には邪悪なものを遠ざける意味があった。ベスはまた出産やこどもの幼児期という特に危険な時期に、女性やこどもを守るとされた。
左:<アメン神の農作業者>アメンエムハトの儀式用鎌
前1479~前1425年頃 テーベ第82号墓(推定)
木、顔料 22.9x34.3x5.1cm
右:ナイル河畔の光景のレリーフ
前1353~前1336年頃 ヘルモポリス・マグナ(推定)
石灰岩、顔料
左の木製の鎌は、先端にフリントの羽が付いていないことと、アメンエムハトという人物の名前とともに<アメン神の農作業者>という称号が刻まれていることから、儀式用のものと考えられる。
右は、漁船技師が木の板をなめらかに仕上げ、2つの水がめをつるした天秤棒をかつぐ農夫が、急な川岸を登っている。
ブルックリン博物館所蔵
特別展「古代エジプト」掘り起こせ、三千年の謎
森アーツセンターギャラリー(東京・六本木)
2025.1.25(土)~ 4.6(日)
会期中無休
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造形作家の浅野修さんが企画の中心となり、日本外国特派員協会の協力で、世界のこどもの絵画展が、今月28日まで、日本外国特派員協会で開催中。
浅野修さんは、筆者が運営に関わってきたカナガワビエンナーレ国際児童画展で審査委員を努めていました。
浅野先生は、出身地である北海道の芽室でレンガ造りの倉庫を利用した「巨大ジャガイモアート館」の運営を行い、どんな痩せた土地でも育ち、人間に栄養をもたらしてくれるジャガイモを、同館のモチーフにしている。同館では自らの立体作品とともに、あるいは作品に組み込んで、世界のこどもたちの絵を観ることができる。
日本外国特派員協会で展示されている作品は、ウクライナを中心に、スリランカ、イラン、中国、イスラエル、ラトビア、ロシア、オーストラリア、メキシコ、アルゼンチンなどからのこどもたちが描いた絵です。
浅野先生は、「こどもの絵を描きたい」と晩年語ったパブロ・ピカソから話しをし始めました。こどもを題材にした絵ではなく、ピカソがこどもの頃に描いた絵を、もう一度描きたいと願ったということです。どんな優れた画家であってもその原点はこどもにあるということでしょうか。
続けて、浅野先生は、「こどもは戦争をしないのだ」と語る。
それは、戦争によって一番に被害を被るのは、こども、老人、障がい者の社会的弱者たちだからです。
「こどもの絵にうまい下手はない」。
こどもはその時々の思考や感情を絵にしています。だから絵のうまさ下手さではなく、こどもの思いをその絵から汲み取ることが大切なことだと思います。
浅野先生のスピーチの後、日本で活動しているウクライナの民族楽器バンドゥーラの演奏家、カテリーナさんの歌と演奏がありました。カテリーナさんは、幼い頃、ウクライナのチェルノブイリ原発事故(1986年)に被災しました。19歳の時、来日し、演奏活動を行っています。当日演奏した曲は、ウクライナの第二国家といわれている「赤いカリーナは草原に」、ジョン・レノンの「イマジン」、そして、赤い鳥の「翼をください」。いずれの楽曲も、ウクライナの平和と自由の願いが込められています。
余談ですが、プレスルーム会場には、ウクライナ出身力士、安青錦も駆け付けていました。安青錦の化粧まわしは、キース・へリングをモチーフにしたデザインで、現在開催中の「キース・ヘリング展」の茨城県立近代美術館を訪れたようです。
今展に出品されているこどもたちの絵は、カナガワビエンナーレ国際児童画展の選外作品です。選外作品の活用事業として、教育文化団体、NPO法人などからの希望に基づき、選外作品の寄贈を行っています。浅野先生から、以前より何回かに分けて選外作品の寄贈希望があり、浅野先生が主宰するNPO十勝めむろ赤レンガ倉庫・巨大じゃがいアート館に寄贈した選外作品です。
海外のこどもたちを支援している美術家には、造形作家の上條陽子さんがいます。新人画家の登竜門であった安井賞を女性で始めて受賞した作家の上條さんは、美術評論家の針生一郎が1999年命名した「東京からの七天使」の一人としてパレスチナのガザを初めて訪問し、それ以来、パレスチナのこどもたちとのワークショップを何度か行っています。最近では、ガザの画家3人を日本に招聘し、彼らの作家活動を紹介しています。
浅野先生も上條先生も御年80歳を超えてなおかつ活動を継続されています。
日本外国特派員協会では、記者たちが使用したカメラやヘルメットなどが展示されています。
またプレスルームでスピーチを行った方々の写真も展示。
世界のこどものアート展
日本外国特派員協会(千代田区丸の内)
2月28日迄開催中
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2013年から2014年にかけて国立西洋美術館で開催された「Dentro y Fuera, las dos caras del informalismo español en las colecciones del Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía/ソフィア王妃芸術センター所蔵 内と外ースペイン・アンフォルメル絵画の二つの『顔』」の図録書影
「ソフィア王妃芸術センターのコレクションの最も重要な分野の一つは、スペインのアンフォルメル芸術である。スペインのアンフォルメル芸術は、フランコ独裁政権下ー内戦終結の1939年から75年のフランコの死まで続くーにおいて認められなかった前衛的精神の回復の象徴であり、その歴史的意識と生み出された作品の高い質から評価されている。」(ソフィア王妃芸術センター絵画部部長ベレン・ガランが図録に寄せた論稿より)
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本来であれば、新川和江の詩の朗読会を行う前に、訪ねておくべきだったが。
現在仮住まいしている茨城県境町から車で約40分の結城市。
新川和江は、1929年4月22日、茨城県結城郡絹川村小森(現、結城市)に生まれた。
1942年に県立高等女学校(現、茨城県立結城第二高等学校)に入学する。17歳で新川淳と結婚。1948年、東京・渋谷に移り住む。日本現代詩人会と茨城県詩人協会に所属する。
2004年にゆうき図書館の名誉館長就任。2024年8月、95歳で逝去。
初めて訪れた結城は穏やかな日差しに包まれていた。
結城蔵美館は、蔵を改造した街角美術館と歴史資料館を兼ね備えたこじんまりとした展示施設。「見世蔵」という蔵であったのを改修し、2013年に開館した。
同館は、結城市出身若しくは居住の若手美術家の作品展示を行う「本蔵」と、同市の歴史資料を展示する「袖蔵」とで成り立っている。「本蔵」では時節柄、ひな人形の展示で、戦前から戦後のひな人形のオンパレードだった。来月3月からは、銅版画作家の西村沙由里さんの展覧会が一ヶ月間の会期で開催される。
「袖蔵」では、鎌倉幕府に仕えた結城家初代当主の結城朝光から18代秀康までの、同家の興亡、古絵図、古文書などを、レプリカや写真資料を含めてコンパクトに解説、展示されている。同館の目玉展示は、「御手杵の槍」と言われた17代当主晴朝の愛槍で、天下三名槍の一槍として知られているそうだ。結城家の象徴で家宝であったこの槍は、残念ながら昭和20年の5月25日の東京大空襲で焼失し、展示されているのはレプリカである。因みに、「御手杵の槍」の銘の由来は、鞞が餅つきの杵の形と似ていることから。
以下は、「袖蔵」の結城家縁の展示品の数々。
結城市は言わずと知れたゆうき紬の地である。結城蔵美館のスタッフに、紬を見学できるところを教えてもらった「つむぎの館」は休館日だった。そこで訪ねたのは、結城紬を紹介する郷土館へ。資料室となっている1階には、結城紬の歴史、制作工程、道具類、製品などを展示。2階で実際の機織り機で絣を織っている現場が観られる。織られた絣は商品として販売しているそうだ。
新川和江の痕跡を訪ねての小さな旅だったが、観光マップを見てもそれらしきものはない。
結城駅近くにある観光協会に向かう。正確には、結城市観光ボランティアガイド協会の観光案内所。ゆうき図書館が入っている結城市民情報センターの一角にある。
新川和江がゆうき図書館の名誉館長に就任してから何度も会っているというお年を召した女性が応対してくれた。2008年にゆうき図書館開館5周年記念に、新川和江賞が設けられ、その選考に新川は当たっていた。
そして、その女性から案内されたのは、市民情報センターの敷地に立つ石彫。新川が寄贈した石彫だった。顔立ちはなんとなく新川にも似ている。その石彫は鶴見修作による作で、鶴見は藝大出で、五百羅漢像を制作している。
痕跡の旅は、この石彫のみで終わったが、銅版画作家の展覧会の時にもう一度訪れてみようと思う。
昼ごはんは、多むらという蕎麦屋で、おかめそばを。
うわー。コッペパンがのっている。いや、でっかいお麩でした。
以上
2025-02-12更新
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この朗読会は、第2回さかいまち国際児童画展(茨城県境町役場主催)の関連イベントとして企画、開催した。
2月2日(日)午前10時15分過ぎからスタート。前日にでた雪予報は、朝からは雨に変わっていた。
会場は、S-Gallery粛粲寶美術館に隣接する施設のセミナー室。
詩を朗読していただいたのは、境町の隣町の八千代町の図書館で読み聞かせ活動する八千代よむよむクラブの二人と境町民の一人。
参加者は、三組の家族の7人。募集予定とした十組二十名には至らなかったが。
八千代よむよむクラブの他のメンバーたちと、日本現代詩人会と茨城県詩人協会のそれぞれの理事長たちが朗読会を見守る。
朗読する詩は、新川和江の『幼年・少年少女詩篇』。新川は1970年代にこの詩篇を書き始めている。
朗読者は、朗読者自身に選んでもらった三篇の詩をそれぞれゆっくりと二回繰り返し読む。
一篇読み終えるごとに、短いコメントを自分から加えた。
この朗読している間、こどもたちの心に、新川和江の作品が染みこんでもらえたら嬉しい。
おおよそ30分ぐらいの朗読が終わると、参加者たちは、第2回さかいまち国際児童画展の展示会場に移動。
展示中のこどもたちの絵から、気になった絵を選んで、その絵から感じたことを、詩にしてもらう。一行詩でもいいし、二行詩でもよい。
展覧会会場で書いてもらったり、朗読会場で書いてもらったり。
そして、自作詩発表の時を迎えた。作者自身による自作詩の朗読。
絵の観た様(さま)を飾ることのない叙事詩に表したと言える。
なかには、新川和江に迫る詩を書いたこどももいた。
今回の“二月のうた”新川和江の詩の朗読会は、絵(美術)と詩(文学)が交感し合うきっかけとなる場として企画した。美術を観る目が拡がること、また詩を読む聞くことからのイメージ(図像)の拡がりを楽しんでもらえればと思う。無論、音楽の領域においてもそう考える。古来、美術家、詩人、音楽家たちには、そのような領域交感する深層意識を持ち得ていると考える。
朗読した詩
《朝のおしゃべり》《ふーむの歌》《二月のうた》
《呼んでいる》《いっしょうけんめい》《ぽんかん》
《先生に》《花の名》《元旦》
いずれも『幼年・少年少女詩篇』より
第二回さかいまち国際児童画展
2月24日(月・振替休日)まで開催中
S-Gallery粛粲寶美術館(茨城県境町)
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特別展「古代DNA 日本人のきた道」(国立科学博物館)は、人類学の篠田謙一(国立科学博物館館長)と考古学の藤尾慎一郎(国立歴史民俗博物館名誉教授)の二人のタッグによる監修のもとで、古代ゲノム解析からわかってきた古代人(日本人)が歩んできた道のりと、集団の歴史が語る未来へのメッセージを伝える。
「最初の日本人」の実態は、化石証拠がないことから謎に包まれていたが、近年、沖縄県石垣島の遺跡から、4万年前の時代の人骨が続々を発見されて、ゲノム解析によってこれらの人骨の研究が進んだ。
人骨に残されたDNA解析から、山間部や海岸部、そして平野で多様な生活をしてきた縄文人がどのような人々だったのがわかってきた。
水田耕作が始まった弥生時代は、縄文人とは見た目のほかに、DNAや考え方が異なる、青銅や石の武器を持つ朝鮮半島青銅器文化の登場によって幕を開けた。1000年あまりで縄文人のDNAと入れ替わった弥生人のDNAの物語も展開される。朝鮮半島からの渡来人の交流を明らかにする重要な資料も展示される。
他に、古墳時代のヤマト政権が誕生する国家形成期の日本を探り、琉球列島集団の形成史、縄文人が北の大地の人々であるアイヌになるまでの文化的変遷を辿る。
展示途中のトピックとして、イヌのきた道とイエネコの歴史が取り挙げられる。
左から
藤尾慎一郎さん(国立歴史民俗博物館名誉教授)、本展公式サポーターの井上味楽さん、篠田謙一さん(国立科学博物館館長)
特別展「古代DNA 日本人のきた道」
2025年3月15日(土)から6月15日(日)まで
国立科学博物館
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第12回いのちかがやくこども美術全国展
0~6歳の子どもが生み出す絵と造形
会期:2024年11月16日~24日
会場:四谷三丁目ランプ坂ギャラリー
主催:NPO法人子ども美術文化研究会
本展を主催するNPO法人子ども美術文化研究会は、自然とのかかわりを重視した自由な環境の中で、「子どもの文化は美術文化」との共通認識のもと、遊びや造形活動、そして描画活動に積極的に取り組む全国各地の保育園・こども園で構成されている。
本展に展示されている0歳から6歳までの絵は、全国の保育園とこども園からの出品。
年齢別の展示解説を引用しつつ、こどもたちの描画について紹介する。
【0~1歳児】
まるで、「アンフォルメル」の「具体美術」の作品が並んでいるようだ。
こどもはまず点を打ち、次いで線を引き、線を集めたら面らしきものを描くようになる。動きのある線や点によって、躍動感のある大きな絵を描く。
こどもは、床に置いた画用紙からはみ出るように絵を描いている。
展示では、はみ出た部分はマットで隠れている。実際に描かれた様子の写真を絵の下に掲示している。
以下同様。
【2歳児】
幕末から明治にかけての手本の絵を忠実に模写する「臨画」の指導方法から、大正からは、こどもの創造性を重視した図画教育を提唱する「自由画」が展開され始めた。
真ん中に作者が入り込んだように、大きな円の塊を描き、そこから線が外に向かってのび出す。「友だち関係などから大きな二つの塊をシンボリックに抽象的に描いた絵」もある。
ところで、0歳から2歳児向けの鑑賞ワークショップや画材を使ったワークショップが美術館レベルでもう何年も前から行われている。関東地方では、定期、不定期を含めて、国立西洋美術館の「ゆったりBABY DAY」、平塚市美術館の「赤ちゃんアート」、町田市立国際版画美術館の「こどものための鑑賞会」、いわさきちひろ美術館の「あかちゃんのための鑑賞会」などが挙げられる。
【3歳児】
「身体機能の発達と遊びの深まりから、描かれる絵に厚みがでてくる。その厚みを持つ面は立ち上がるような力強さを感じる。
物事への認識が形をイメージさせることからくる。この年齢はものの区別認識や感情の表出・表現から混色も多く出てくる」。
【4歳児】
遊びの拡がりや深まりから、色をしっかり選択して多種多様な表現が見られるようになる。認識したことや、自己と他者、内と外の世界など自分がとらえたものごとを絵に表現する。楽しい不思議な絵を描く年齢。
【5歳から6歳児】
「思いのままに自然や自然素材と関わるこどもたちは、創造性を発揮して、造形活動(遊び)を展開する力をつけてくる。友だちと深く遊び込み、大きな造形作品を作りだしたこどもたちは、多様な絵を生み出す。新鮮で創造性にあふれ、迫力と躍動感が満ち、誠実で建設的な絵は、こどもたちの確かな育ちを語っている」。
会場の冒頭の展示は、こどもたちの絵を下記の四つの美術表現様式に分けて展示がされている。描いたこどもたち本人は、無論このような表現様式などあるとこどもたちは意識していないが、なるほどと感じて観ていた。
①思考型=写実主義
*地に足をつけた建設的なもの
②感情型=超現実主義
*夢と空想にあふれている
③感覚型=表現主義
*感情表現や色彩が豊か
④直感型=構成主義
*構築性があって構成的で知的
『芸術による教育』の著書を残した文芸や美術の評論家のイギリスのハーバート・リード(1893-1968)は、こどもの多様な絵を、写実主義、超現実主義、表現主義、構成主義の四つに分け、こどもたちには多様な個性があることを明らかにするためにこの分類を行っている。
主催者の子ども美術文化研究会は、こどもたちの絵を理解し、肯定的に受けとめていくために、こどもの絵の分類を試みたと述べている。
これらの絵を描いたこどもたちが、将来もこの画風を引き継いでいくかどうかは無論定かではないが、こどもの成長過程における表現として心を惹くものがある。
以上
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日本人の血をひくKazuya Sakaiは、1927年アルゼンチンのブエノスアイレス生まれの画家。画家として以外にも、デザイナー、ラジオのパーソナリティ、翻訳家、評論家、編集者という幅広い領域で活動を行った。
Kazuya Sakaiの両親は息子を日本で学ばせるために1934年日本に送り出す。そして早稲田大学文学部に入学する。
アルゼンチンに1951年(1952年という記録もある)に帰国。帰国後は日本文化の普及に努めた。芥川龍之介の『河童』をはじめとする日本の文学作品をスペイン語に翻訳するという、文学にも長けていた。
1966年米国に短期間滞在ののち、メキシコに移住し、1977年まで住む。メキシコのColegio de Méxicoの教授として迎え入れられる。Octavio Pazが創刊した『Plural』誌の編集長も務めている。
メキシコ滞在を経て、米国のテキサス州のダラスに移住。同地で2001年没。
酒井の日本滞在時、白髪一雄をはじめ具体の作家たちの作品に触れ、Kazuya Sakaiの初期の作品にはその影響がみられる。
日本で展覧会ができればと思うが。
作品(順番に)
Kazuya Sakai. Sin título, óleo sobre tela, 96 x 130 cm, 1960. La Galería Jorge Mara • La Ruche
Kazuya Sakai. Sin título, Oleo sobre tela, 45,5 x 55 cm, 1962. La Galería Jorge Mara • La Ruche
Kazuya Sakai. Sin título, tinta sobre papel, 53 x 39 cm, 1960. La Galería Jorge Mara • La Ruche
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第2回さかいまち国際児童画展 その1
4歳から15歳のこどもたちの多様性のある描画はいつみても楽しい。
線を縦横に走らせる線描画は、ひっかいたような線描から「掻画」と言われている。
就学前のこどもの絵にはそれが観ることができる。
中心部からなにか増殖していくような色や形が拡がっている。
いつしかそれが画面全体にまでおよび、そのなかに具体的な形の線が読み取れる。
画用紙に最初は点や丸など印しをつけるというのがこの時期の幼児の描画の始まりらしい。
描画が身体運動と結びついていることもあるし、精神的意味をも持っているのだろうか。
第2回さかいまち国際児童画展
2025年2月24日まで
S-Gallery粛粲寶美術館にて
茨城県境町
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