詩人新川和江の生誕の地 茨城県結城市
本来であれば、新川和江の詩の朗読会を行う前に、訪ねておくべきだったが。
現在仮住まいしている茨城県境町から車で約40分の結城市。
新川和江は、1929年4月22日、茨城県結城郡絹川村小森(現、結城市)に生まれた。
1942年に県立高等女学校(現、茨城県立結城第二高等学校)に入学する。17歳で新川淳と結婚。1948年、東京・渋谷に移り住む。日本現代詩人会と茨城県詩人協会に所属する。
2004年にゆうき図書館の名誉館長就任。2024年8月、95歳で逝去。
初めて訪れた結城は穏やかな日差しに包まれていた。
結城蔵美館は、蔵を改造した街角美術館と歴史資料館を兼ね備えたこじんまりとした展示施設。「見世蔵」という蔵であったのを改修し、2013年に開館した。
同館は、結城市出身若しくは居住の若手美術家の作品展示を行う「本蔵」と、同市の歴史資料を展示する「袖蔵」とで成り立っている。「本蔵」では時節柄、ひな人形の展示で、戦前から戦後のひな人形のオンパレードだった。来月3月からは、銅版画作家の西村沙由里さんの展覧会が一ヶ月間の会期で開催される。
「袖蔵」では、鎌倉幕府に仕えた結城家初代当主の結城朝光から18代秀康までの、同家の興亡、古絵図、古文書などを、レプリカや写真資料を含めてコンパクトに解説、展示されている。同館の目玉展示は、「御手杵の槍」と言われた17代当主晴朝の愛槍で、天下三名槍の一槍として知られているそうだ。結城家の象徴で家宝であったこの槍は、残念ながら昭和20年の5月25日の東京大空襲で焼失し、展示されているのはレプリカである。因みに、「御手杵の槍」の銘の由来は、鞞が餅つきの杵の形と似ていることから。
以下は、「袖蔵」の結城家縁の展示品の数々。
結城市は言わずと知れたゆうき紬の地である。結城蔵美館のスタッフに、紬を見学できるところを教えてもらった「つむぎの館」は休館日だった。そこで訪ねたのは、結城紬を紹介する郷土館へ。資料室となっている1階には、結城紬の歴史、制作工程、道具類、製品などを展示。2階で実際の機織り機で絣を織っている現場が観られる。織られた絣は商品として販売しているそうだ。
新川和江の痕跡を訪ねての小さな旅だったが、観光マップを見てもそれらしきものはない。
結城駅近くにある観光協会に向かう。正確には、結城市観光ボランティアガイド協会の観光案内所。ゆうき図書館が入っている結城市民情報センターの一角にある。
新川和江がゆうき図書館の名誉館長に就任してから何度も会っているというお年を召した女性が応対してくれた。2008年にゆうき図書館開館5周年記念に、新川和江賞が設けられ、その選考に新川は当たっていた。
そして、その女性から案内されたのは、市民情報センターの敷地に立つ石彫。新川が寄贈した石彫だった。顔立ちはなんとなく新川にも似ている。その石彫は鶴見修作による作で、鶴見は藝大出で、五百羅漢像を制作している。
痕跡の旅は、この石彫のみで終わったが、銅版画作家の展覧会の時にもう一度訪れてみようと思う。
昼ごはんは、多むらという蕎麦屋で、おかめそばを。
うわー。コッペパンがのっている。いや、でっかいお麩でした。
以上
2025-02-12更新
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