木阿弥光悦の大宇宙@東京国立博物館平成館
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スペイン大使館のギャラリーでは、現在、2月5日まで、“Ferias y Verbenas” de Los Bravúが開催されている。30歳代半ばの二人のスペイン人アーティストのユニット名であるLos Bravúは、ガリシア語で野生動物の臭いを意味する。
Dea Gómez (Salamanca, 1989)とDiego Omil (Pontevedra, 1988) は、サラマンカ大学で美術を学ぶ中で出会い、Los Bravúの名前で2012年から活動を開始する。プレスリリースによると、活動当初は、デザインや出版の世界で専門性を高め、特にグラフィク・ノベルやコミック作家として活躍するようになった。その後、フランス語圏の漫画産業のバンド・デシネ(bande dessinée 日本語訳で「続き漫画」)のアーティストのための国際レジデンス「アングレーム・オートゥル・メゾン」に招かれ、《La Furia》や《MUJER!》など注目された漫画作品を出版している。
2016年、ローマのスペイン王立アカデミーの奨学生として、イタリアでレジデンスしている期間に、古代世界とルネッサンスに強く影響を受けた絵画作品に焦点を当てたアートプロジェクトシリーズを制作することになる。これらの古典的な影響と現代的な美学が、世界中の都市のギャラリーや見本市で展示される特殊な具象作品を生み出した。
Los Bravúの絵画は、強い絵画的形式主義に重点を置いて、デジタルメディアとの関係、博物館化された街のオーバーツーリズム、エコロジズム、「ハイカルチャー」と「ローカルチャー」の間の永遠のジレンマなどといった現代の様々な問題を読み解く。
2020年、マドリーのグランビア通り中央にあるPalacio de la Músicaのファサードに150メートルを超えるセラミックタイル壁画制作のプロジェクトに取り組む。近年は、絵画の加え、彫刻、ビデオ、インスタレーション、さらにはパフォーミングアーツフェスティバル「Escenas deo Cambio」でのダンス作品など他の分野においても活動している。
ピカソ的なモチーフや構図が作品に表れているが、本人たちはそれについては認めている。
15enero2024
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茶人として織田有楽斎は茶道具類と茶室を残している。茶室「如庵」を、正伝院内(現在の京都市東山区)に、有楽斎は隠居所と共に造営している。如庵は二回移築している。一度目は、1937年(昭和12年)、神奈川県大磯の三井家別荘、そして二度目は。愛知県犬山市の有楽苑に1972年(昭和47年)移築され現在に至っている。
如庵は、二畳半台目の茶席である。有楽斎は、1621年(元和7年)に没するまでの三年余りの間に、茶を振る舞っていたと言われている。
有楽斎は、茶の湯を介して大名、高僧、町衆との交流を深め、正法院を終の住処とする頃にはすでに当時の茶の湯において重要な役割を果たすようになっていた。
武将茶人というイメージで言うと、帛紗捌き、茶筌通し、棗や茶杓の清めなど、さぞかし豪快かと思いきや、「有楽斎の点前は、比較的シンプルで柔らかい」(書家・西村大輔)とされている。それは「書」からも、「様々な工夫が率意的に自然に表現された書は柔らかく」(書家・西村大輔)見えている。
織田有楽斎書状 古田織部宛 江戸時代 17世紀
有楽斎が織部宛てに前日の茶の礼状を述べている。
いずれも、有楽斎手造茶碗(桃山~江戸時代16~17世紀)
正伝永源院で有楽斎の手造りの茶碗として伝わっている。
金継ぎも景色として溶け込んでいる。
四百年遠忌記念特別展
大名茶人 織田有楽斎
サントリー美術館
2024年3月24日(日)まで
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