スペイン市民戦争下の美術品疎開
1936年7月スペイン人民戦線政府に対してファシスト軍部が蜂起を起こし、そしてファシストによって政府が倒されたのは1939年3月です。内戦終結してから80年となる今年の10月に、内線下における芸術品疎開をテーマにした会議が、プラド美術館で開催されます。
Museo, guerra y posguerra. Protección del patrimonio en los conflictos bélicos
9, 10 y 11 de octubre de 2019
Auditorio del Museo del Prado
1939年2月の3日から9日にかけて、フランコ側の砲撃で6日と7日は中断があったものの、トラック71台による、カタルーニャ北部からフランスに向けて、スペインの重要な芸術品の避難が始まりました。
数千点の芸術品には、ベラスケス、ゴヤ、リベラ、ムリーリョ、デューラー、ティツィアーノ、ルーベンスを含む、プラド美術館が所蔵する約600点もの作品がありました。さらに、ほかの美術館、教会、個人所有の芸術品も含まれています。
1936年のスペイン市民戦争の勃発とともに、芸術遺産共和国委員会はマドリッドからバレンシア、さらにバルセロナ、そして最終的にはジュネーヴに向けて美術品の避難手続きを開始する準備をしていました。
自由主義陣営の美術館(ルーヴル、ナショナル・ギャラリー、ロンドンテートギャラリー、アムステルダム国立美術館、ベルギー王立美術館、ニューヨークメトロポリタン美術館)よって構成されたスペイン芸術遺産救済国際委員会(画家José María Sert(1874-1945)の要請により設置)の協力を得て、71台のトラックは、共和国軍の先導を受け、芸術品の疎開が画家Timoteo Perez Rubio(1896-1977)と芸術遺産中央委員会によって行われました。スペインの芸術遺産の危機を目の前にして、美術館同士の国際的な団結は、特異な事例となりました。
救出された広範な芸術品は、国際委員会によって目録が作成された後、内戦終結前の1939年の5月と6月にマドリッドに戻ります。
フランコ・ファシストは、プラド美術館所蔵の174点と21点の国宝のタペストリーの展示を、ジュネーヴ美術歴史博物館で行っています。この展示は1939年6月から9月にかけて開催され、忌まわしい国際的な紛争の予兆される時期に異例な成功を収めています。それから間もなくして第2次世界大戦が勃発します。
スペインに芸術品を戻す列車は、ドイツ軍の攻撃を案じ消灯したまま、フランスからの鉄道路を使って移動を行っています。そして、1939年9月に列車はマドリッドに到着します。
この芸術遺産救済の行動は、戦火の下、戦塵にまみれる数多くの国々(フランス、ベルギー、オランダ、イギリス、イタリア、ドイツ)によって遂行されました。
(ウェブサイトからの翻訳)
https://www.museodelprado.es/recurso/museo-guerra-y-posguerra-proteccion-del/7643d141-7319-44db-8e37-62f54aca644f?fbclid=IwAR1tUlv5UcDTZDwdbiqXCi5AtoUq6gu7jk28aMpbfrkvtlfBrPJv-y-jl1Y
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