アントニエタ・リバス
4月15日から16日にかけて火災が発生したノートルダム大聖堂で、今から88年前に、拳銃自殺を図ったメキシコ人女性がいた。この女性はアントニエタ・リバスといい、メキシコの女優、文化支援者、女性権利擁護者、政治活動家、作家であった。
1900年にメキシコ・シティで生まれたアントニエタは、父親の建築家、彫刻家のアントニオ・リバス・メルカド(1853-1927年)の影響を受け、子どもの頃から芸術に親しめる環境で育ち、音楽やダンスを学んでいた。
※父親のアントニオ・リバス・メルカドは、メキシコ・シティを訪れた者にとっては、よく知られる、レフォルマ通りにある通称アンヘル(天使)と呼ばれている独立記念塔の建立者である。
アントニエタ、8歳の時、父親とパリに旅行した際、パリのオペラ座で、バレーを専門的に学べる機会を得た。しかし、父親は、娘をパリに残すことを嫌い、アントニエタのオペラ座でバレーを学べる機会は失われた。アントニエタは、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ギリシア語を学んだという。
1918年、18歳で、米国在住のイギリス人と結婚し、子どもをもうけたが、夫婦生活は順調とは言えなかった。
その後、メキシコ公教育大臣のホセ・バスコンセロスと心情的な友となり、彼の大統領選出馬(1929年)に際して、アントニエタは惜しみない協力をしたが、バスコンセロは大統領選に敗北する。敗北したバスコンセロは選挙不正の疑惑を受け、メキシコから出国。アントニエタも、ニューヨークに逃れ、作家、ジャーナリストとしてニューヨークで活動する。
※バスコンセロスは、ヨーロッパ留学中の画家を呼び寄せ、国立高等学校、文部省等に壁画を描かせている。これがメキシコ壁画運動(1921年から)の始まりとなる。
アントニエタは、1931年2月11日に、パリのノートルダム大聖堂で、拳銃自殺という悲劇的な最期を遂げる。使った拳銃は、バスコンセロスが常に携帯していたものであった。
この事件がきっかけで、スペイン人映画監督カルロス・サウラ(1932年-)は、映画《アントニエタ》を制作し、アントニエタ役には、フランス人女優のイサベル・アジャーニを起用している。
※カルロス・サウラの兄は、抽象表現派の画家のアントニオ・サウラ(1930-1998年)。
アントニエタの自殺の原因は、いくつかあるらしいが、ホセ・バスコンセロスとの関係が起因されていると言われている。アントニエタの自殺のニュースは、聖堂という神聖な場所であるという理由で、当時のパリのマスコミはあまり報じてはいない。アントニエタの亡骸は、パリの墓所に埋葬されている。
《Sinebargo》記事の要約
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