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2013年9月23日 (月)

映画『ひろしま 石内都・遺されたものたち』 Hiroshima, Things Left Behind - Miyako Ishiuchi

ひろしま 石内都・遺されたものたち

監督:リンダ・ホーグランド
撮影:山崎裕
編集:ウィリアム・リーマン
音楽:武石聡、永井晶子
プロデューサー:橋本佳子、浜野高宏
統括プロデューサー:小谷亮太、リンダ・ホーグランド
製作:NHK、Things Left Behind Film、LLC2012
配給:NHKエンタープライズ
2012年/アメリカ・日本合作映画/80分

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 広島の被爆をテーマに撮影した写真展が、2011年10月14日から2012年2月12までカナダ・バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)人類学博物館で開催された。撮影したのは日本を代表する女性写真家の石内都。2007年に撮影のため初めて広島を訪れて以来毎年撮影している写真の中から、今回の展示会のために用意されたもので、東日本大震災直後に撮影した作品7点を含む48点が展示された。被写体は被爆し亡くなった人々の遺品たち―花柄のワンピース、水玉のブラウス、テーラーメイドの背広、壊れたメガネ…。
 本作はその模様を、日本映画の字幕翻訳家でもあるアメリカ人のリンダ・ホーグランド監督(『ANPO』)が1年以上にわたって密着したドキュメンタリーである。(リンダ監督はくしくも震災の日に日本に到着して、本作の制作が始まった。) 石内都の「なぜ自分がヒロシマを撮るのか」という思いと、作品を受けとめたカナダの人々から知らされる様々な事実。カナダの先住民と広島に落とされた原爆の思いがけない接点。会場に立つ人々の心の動揺──被爆した人の死を初めて実感し呆然とする人、遺品のワンピースを着ていた少女に思いを寄せる人、祖父が原爆製造に関わっていたと告白する人、広島で出会った亡き日本人の妻を偲ぶ元兵士…。写真に触発された人々の思いが重なり、ひとつに織り成されてゆく。
 「広島、長崎の被爆を語り継ぐために、芸術が出来ることは何か。国境を越え、歳月を超え、この事実をどう語り継いでゆくのか」。本作はヒロシマが今日の世界に投げかける普遍的意味を、改めて我々に問いかけてくる。 数々のドキュメンタリーを撮影し、『誰も知らない』など是枝裕和作品の撮影監督としても知られる山崎裕が撮影を担当。

写真家 石内 都(いしうち・みやこ) 略歴
群馬県生まれ、横須賀育ち。初期三部作「絶唱、横須賀ストーリー」「APARTMENT」「連夜の街」で街の空気、気配、記憶を捉える。その後、同い歳生 まれの女性の手と足をクローズアップした「1・9・4・7」など身体にのこる傷跡シリーズを撮り続ける。1979年第4回木村伊兵衛賞、 1999年第15回東川賞国内作家賞などを受賞。 2005年「Mother's 2000-2005 未来の刻印」でヴェネチア・ビエンナーレ日本代表に選ばれる。 2008年写真集『ひろしま』(集英社)、 写真展「ひろしま Strings of Time」(広島市現代美術館)により2009年第50回毎日芸術賞受賞。「ひろしま」は沖縄、東京、大阪、宮崎、長野、バンクーバーでも個展が開催された。

監督 リンダ・ホーグランド (Linda Hoaglund) 
アメリカ人宣教師の娘として京都に生まれ、山口、愛媛の小中学校に通う。エール大学を卒業後、ニューヨークをベースに活動。1995年以降、字幕翻訳者と して宮崎駿、黒澤明、深作欣二、大島渚、阪本順治らの作品を始めとする200本以上の日本映画の英語字幕を翻訳する。2007年、映画『TOKKO/特 攻』(監督:リサ・モリモト)をプロデュース。2010年には長編ドキュメンタリー映画『ANPO』で監督デビュー。同作品はトロント、バンクーバー、香港など多くの国際映画祭で上映された。本作が監督第2作である。

〜監督からのメッセージ〜
私はアメリカの宣教師の娘として日本の地方の公立の学校に通ったために、子供のときに「ヒロシマ」に直面することになった。4年生の授業で、先生が黒板に白いチョークで「アメリカ」と「原子爆弾」と書いた時、私はクラスでただひとりのアメリカ人だった。40人の日本のクラスメートは、一斉に振り返り、私を見つめた。その瞬間は、映像というよりはむしろ心情として、記憶に強く焼きついている。その時の机の形はもう覚えていないが、罠にはめられた気持ちの輪郭は、今でも確かに辿ることができる。私の祖国は許されないことを行い、私は自分ひとりでその責任を負わなくてはならなかった。クラスメートの無言の不信から逃れ、二度と顔を合わすことがないように、机の下に穴を掘りたくてたまらなかった。本作『ひろしま 石内都・遺されたものたち』は、その穴からの出口の模索の結晶とも言える。

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