« 2003年6月 | トップページ | 2004年4月 »

2004年2月

2004年2月 1日 (日)

A Woman’s Touch

A Woman’s Touch

February 21 to May 30, 2004

MoLAA-Museum of Latin American Art
628 Alamitos Avenue, Long Beach, CA 90802, Philadelphia, USA

Margarita_checa

Isabel_de_obaldia

Susana_epinosa

Peschel

MoLAA企画による本展は、Margarita Checa(1950年生、ペルー・リマ出身)、Isabel de Obaldia(1957年生、パナマ出身)、Susana Espinosa(1933年生、アルゼンチン出身)、Patricia Waisburd "Peschel"(1956年生、メキシコ・モントレイ出身)の4人の女性彫刻家をとりあげている。「A Woman's Touch」展は、女性のユニークな視点からのラテンアメリカ彫刻の多様性を明らかにし、木(Margarita Checa)、ガラス(Isabel de Obaldia)、土(Susana Espinosa)、紙(Peschel)の様々な材料を生かして、どのように人物作品に取り組んだかを探る。人物像にアプローチするスタイルは、それぞれの作家は違う。Margarita ChecaとPeschelは、表現派的写実主義スタイルをとり、Susana Espinosaはシュールレアリスムに影響を受けており、Isabel de Obaldiaは、単純なフォームを使い、ほとんどミニマリズムと言ってよい。

| | コメント (0)

Gunther Gerzso

Gunther Gerzso
Defining Mexican Abstractionism

February 6 to May 30, 2004

ArtSpace/Virginia Miller Galleries
169 Madeira Avenue, Coral Gables (Miami), Florida 33134, USA

Gg_gallery_instalation
Gallery Installation

Gg_architectonic_abstraction_194482
Architectonic Abstractions 1948-2000

Gg_costumes_19350941
Costumes 1935-1941

Gg_mexican_19351941
Mexican 1935-1941

Gg_stage_sets_19351941

Stage Sets 1935-1941

Gg_surreal_19351941
Surreal 1935-1941

Gg_war_19351941
War 1935-1941

Gg_woman_19351941
Women 1935-1941

Gg_varied_subjects_19351941
Varied Subjects 1935-1941

 美術専門家以外にはあまり知られていないGunther Gerzsoは、一部の評論家からパブロ・ピカソやホアキン・トーレス=ガルシアと肩を並べるアーティストと評されている。オクタビオ・パスは、彼のことをラテンアメリカの偉大な画家の一人であると言っている。

 ハンガリー人の時計職人の父親、ドイツ人の歌手でピアニストの母親を持つGerzsoは1915年メキシコ・シティに生まれた。幼くして父親を亡くし、母親はその後、在メキシコのドイツ人宝石商と再婚する。メキシコ革命の中、宝石商の仕事を失い、一家はヨーロッパに移住した。

 1924年メキシコに戻るが、母親は二人目の夫と離婚する。その後生活が不安定になり、母親は十二歳のGuntherを、彼女の弟Hans Wendlandに預けることに決心した。スイスのルガーノにいた弟は、美術史家であり画商でもあった。Wendlandは、レンブラント、セザンヌ、ティツァーノの作品を販売していた。Gerzsoは、ボナールやドラクロワの作品が彼の寝室の壁にかかっていたのを憶えている。Wendlandの重要な客たちの中にイタリア人舞台装置デザイナーのNando Tamberlaniがいた。GerzsoとTamberlaniは友人同士となった。

 1929年の世界大恐慌はヨーロッパにも影響を与え、Gerzsoの叔父Wendlandは、土地やアートコレクションを処分した。Gerzsoは、母と妹と共にメキシコに戻り、ドイツ人学校に入学する。演劇の世界にあこがれ、3年間彼は、舞台装置のデザインを描いたり、戯曲を書いたりした。1934年に卒業すると、家族の知り合いを通じて、ある地方の劇場プロデューサーのために舞台装置デザインを作りはじめることになった。

 劇場で働いているうちに、Gerzsoは、絵に興味を持ち始めた。日々の生活で会った魅力的な若い女性や人物など。今回の展覧会にも出品されているこの初期の作品の多くは、彼の得た経験を映し出し、ヨーロッパから来たアーティストたち(マチスやピカソ)の作品や、さらにメキシコのアーティストたち(Diego Rivera、Jose Clemente Orozco)の作品の影響を受けている。
友人から誘いを受け、Cleveland Museum of Artのコンクール展へ出品した。二作品が選考されたことで、この独学の画家は勇気づけられ、彼は絵を描くことに集中し始めた。1939年から1940年まで、彼の作品は、ルーツであるメキシコを探求し始めた。

 1941年、Gerzsoは、結婚したばかりの妻とともにメキシコシティに移った。舞台と250本の映画の衣装や装置のデザインを続けたが、画家であることは忘れなかった。1940年代、メキシコで活動していたヨーロッパのシュールレアリストたち(Remedios Varo、Leonora Carrington、Benjamin P eret、Alice Rahon、Alice Rahon、Wolfgang Paalen)と交流した。彼らからの影響は、反戦思想を含めて、Gerzsoの作品に反映されている。
 本展では、メキシコのルーツをテーマにしたドローイングや油絵を含めた、Gerzsoの絵画展開における各時代の作品から、反戦メッセージを盛り込んだシュールレアリスムスタイルの作品までを展示している。彼をメキシコで最も影響力のあるアーティストにさせた抽象作品のテキスチヤーと色彩には、コロンブス以前のメキシコ史のエッセンスが注ぎ込まれている。その円熟した抽象作品も本展には含まれている。

 1973年にグッゲンハイムフェローシップとなり、1978年には、メキシコで最も名誉あるNational Award for Arts and Sciencesを受けた。2000年に逝去。(ArtSpace/Virginia Miller Galleriesのサイト「Biography」からの翻訳)

|

« 2003年6月 | トップページ | 2004年4月 »