アートの紙魚/Art Topic

2019年5月13日 (月)

久保貞次郎編 北川民次指導メキシコ児童画集

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 北川民次(1894-1989)の没後30年にあたる今年、作家の所縁の地など展覧会が開催される。北川と交流があった久保貞次郎の出身地・栃木県にある久保記念観光文化交流館では今月から、北川のアトリエがある愛知県の瀬戸市美術館では、来月6月から、それぞれ没後30年の関連展覧会が開かれる。 

 久保貞次郎が編んだ「北川民次指導メキシコ児童画集」(1978年、現代美術社)には、メキシコにいる北川から、メキシコの子どもたちの絵が届けられるいきさつとともに、子どもたちの作品が収められている。 

 ラテンアメリカ周遊(1931-1933)してい藤田嗣治は、メキシコで北川からメキシコの子どもたちの絵や版画を預かり、藤田の帰国後、東京日本橋にあった白木屋で、「北川民次指導メキシコ児童画展」が1936年に開くことができた。久保貞次郎は、画家暎九からこのことを聞きつけ、連れ立って見に行ったという。 

久保貞次郎編 北川民次指導メキシコ児童画集 
現代美術社 1978年刊 

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2019年4月27日 (土)

アントニエタ・リバス

4月15日から16日にかけて火災が発生したノートルダム大聖堂で、今から88年前に、拳銃自殺を図ったメキシコ人女性がいた。この女性はアントニエタ・リバスといい、メキシコの女優、文化支援者、女性権利擁護者、政治活動家、作家であった。

1900年にメキシコ・シティで生まれたアントニエタは、父親の建築家、彫刻家のアントニオ・リバス・メルカド(1853-1927年)の影響を受け、子どもの頃から芸術に親しめる環境で育ち、音楽やダンスを学んでいた。
※父親のアントニオ・リバス・メルカドは、メキシコ・シティを訪れた者にとっては、よく知られる、レフォルマ通りにある通称アンヘル(天使)と呼ばれている独立記念塔の建立者である。

アントニエタ、8歳の時、父親とパリに旅行した際、パリのオペラ座で、バレーを専門的に学べる機会を得た。しかし、父親は、娘をパリに残すことを嫌い、アントニエタのオペラ座でバレーを学べる機会は失われた。アントニエタは、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ギリシア語を学んだという。

1918年、18歳で、米国在住のイギリス人と結婚し、子どもをもうけたが、夫婦生活は順調とは言えなかった。

その後、メキシコ公教育大臣のホセ・バスコンセロスと心情的な友となり、彼の大統領選出馬(1929年)に際して、アントニエタは惜しみない協力をしたが、バスコンセロは大統領選に敗北する。敗北したバスコンセロは選挙不正の疑惑を受け、メキシコから出国。アントニエタも、ニューヨークに逃れ、作家、ジャーナリストとしてニューヨークで活動する。
※バスコンセロスは、ヨーロッパ留学中の画家を呼び寄せ、国立高等学校、文部省等に壁画を描かせている。これがメキシコ壁画運動(1921年から)の始まりとなる。

アントニエタは、1931年2月11日に、パリのノートルダム大聖堂で、拳銃自殺という悲劇的な最期を遂げる。使った拳銃は、バスコンセロスが常に携帯していたものであった。

この事件がきっかけで、スペイン人映画監督カルロス・サウラ(1932年-)は、映画《アントニエタ》を制作し、アントニエタ役には、フランス人女優のイサベル・アジャーニを起用している。
※カルロス・サウラの兄は、抽象表現派の画家のアントニオ・サウラ(1930-1998年)。

アントニエタの自殺の原因は、いくつかあるらしいが、ホセ・バスコンセロスとの関係が起因されていると言われている。アントニエタの自殺のニュースは、聖堂という神聖な場所であるという理由で、当時のパリのマスコミはあまり報じてはいない。アントニエタの亡骸は、パリの墓所に埋葬されている。

《Sinebargo》記事の要約

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映画《Antonieta》ポスター

 

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アントニエタの肖像写真Foto:Especial

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2019年1月 3日 (木)

カルフォルニア州、Cheech Marinのチカーノ美術館建設に970万ドルを予算計上

カルフォルニア州、Cheech Marinのチカーノ美術館建設に970万ドルを予算計上
California Allocates $9.7 Million for Cheech Marin’s Chicano Art Museum

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Cheech Marin. Photo: the Los Angeles Times.

 昨年6月のARTFORUMの記事によると、カルフォルニア州の2018-2019年予算1390億ドルのなかから1000万ドル近い金額をチカーノ美術館建設に充てるとJerry Brown州知事は7月27日に承認した。

 ハリウッド俳優であり、チカーノ・アートのコレクターでもあるチカーノ(メキシコ系アメリカ人)のCheech Marinのコレクション700点を収蔵する美術館ができる。

 2017年にMarinは美術館建設計画を公表してから、カルフォルニア州リバーサイド市とリバーサイド美術館と提携し、300万ドルの資金を集めていた。

 「チカーノアーティストの作品を収集し、彼らの作品を守ってきた。海外の美術館で作品を展示して人生の大半を過ごしてきた。コレクションのための施設の建設を長年夢見ていた」とMarinは述べている。

参考サイト
チカーノ・アート展
http://galerialibro-art.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/chicano-art-exh.html

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2018年12月22日 (土)

The Other Art History: The Badass Latin American Artists Who Made '70s Conceptualism Politically Hardcore by Loney Abrams(要約)

 海外美術誌(Artspace)で見つけた、ラテンアメリカの70年代のコンセプチュアルアーティストたちの紹介記事を要約してここに掲載。記事の執筆者Loney Abrams(ニューヨーク州ブルックリン在住の美術家、文筆家、キュレーター)は、政治的状況を中核にした作品制作を行った彼らを、「かっこいい」アーティストと、記事タイトルにつけている。

 1960年代半ばから70年代なかばまで、コンセプチュアルアーティストは、アートの物質化という旧来の概念を否定して、思想やステーツメント、ジェスチャーを優先させた。その結果、アートの表現形態は、ハプニング、インターベンションからパフォーマンスや映像まで広がった。

 アーティストの思想は作品に明確に内包していると彼らは主張した。当時はそれが画期的なことであった。Joseph Kosuthの《One and Three Chairs》(1965)は、実物の椅子、写真に撮られた椅子、辞書で定義された椅子の三つを一緒に展示している作品は、椅子という概念に対する問いかけを行った。

 コンセプチュアルアートの存在が明確に知られるとともに、世界中のアーティストたちもまたアートの定義を再考し、それを広めていく。これらのアーティストの多くは、政治的経済的混乱の満ちているラテンアメリカで活動していた。

 ラテンアメリカのコンセプチュアルアートは、Mari Carmen Ramirezが、MoMAで開催された「Latin American Artists of the Twentieth Century」の展覧会カタログに「Blueprint Circuits: Conceptual Art and Politics in Latin America」を寄稿する1993年まで、紹介されることはなかった。

 Ramirezは、ラテンアメリカのコンセプチュアリズムが、北米やイギリスのコンセプチュアルアートのただ単なるコピーではなく、いかにしてコンセプチュアリズムを自分たちのものにしたか、ラテンアメリカのコンセプチュアリズムを取り巻く政治や混乱のなかから文脈化し、異なる動きとなったかを示す目的で、カタログに寄稿している。ラテンアメリカのコンセプチュアリズムは、アートのために作品を生成することではなく、行動、抵抗、コミュニケーション、そして社会参加の形態としてのアートを生成してきた。

 北米とイギリスのコンセプチュアルアートをラテンアメリカのコンセプチュアリズムと見分けたRamirezの論考から、以前は認められていなかった幾人かのラテンアメリカのアーティストをコンセプチュアリズムの枠組みに入れたことがわかる。

 キュレーターと美術史家の間で、60年代70年代にラテンアメリカから生起したコンセプチュアルアートは、文脈解釈の仕方が異なってきた。そして、明確な解決がないまま、この時期に現れた最も影響力があるいくつかのアート作品と幾人かのアーティストにバイライトを当ててきた。

 Loney Abramsの記事では、ラテンアメリカの7名のコンセプチュアルアーティストの作品が紹介されている。米国中心のアート世界から軽んじられながらも、北米のコンセプチュアルアートの概念を事実上揺るがした作品である。

EDUARDO COSTA
“Art in the Mind” exhibition, 1970
ブエノスアイレス生まれのEduardo Costaは、1970年の「Art in the Mind」展に出品。テキストは、コンセプチュアルアート作品を解明するだけではない。コンセプチュアルアートや大概のアートの本質をむしばむ働きをする。
Eduardocosta

OSCAR BONY
La Familia Obrera (1968)
Oscar Bonyは政治難民として、アルゼンチンで起きた1976年の軍事クーデターによりミラノに移住している。既にコンセプチュアルアーティストとして政治扇動者としても論争の的となっていた。

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ANA MENDIETA
"Silueta Series," 1973-77
キューバ出身のAna Medieta(1948-1985)は、ニューヨーク市にあるグリニッジ・ビレッジのアパートの33階から謎の転落死をしている。享年37歳。12歳の時、キューバから米国アイオワに移住する。アイオワ大学在学中から、女性に対する暴力をテーマにしたパフォーマンスや不気味な作品制作を行っている。Mendietaは、「大地と身体のアート」で知られるようになった。

Anamendieta
Detail: Ana Mendieta, "Untitled (from Silueta Series in Mexico)," 1973-77/1991 © The Estate of Ana Mendieta Collection, LLC Courtesy of Galerie Lelong, New York and Paris and the Collection of Diane and Bruce Halle.

COLECTIVO ACCIONES DE ARTE (CADA)
No + Campaign, 1973
1973年チリで起きた将軍ピノチェットの軍事クーデターによって、自由選挙で誕生したサルバドール・アジェンデ大統領の社会主義政権が倒される。ピノチェット独裁政権下(1973-1990)で、数千のチリ国民が拷問を受け行方不明となった。Colectivo Acciones de Arte(芸術行動集団)は、ピノチェット政権の間、最も目立ったアーティスト集団である。No+Campaignは、軍事弾圧を示す様々なシンボルを、「No More」の後に描いている。多くのコンセプチュアルアートのように、作品としてのバナーは鑑賞者にアート作品を完成させることを求めている。

Colectivoaccionesdearte

LUIS CAMNITZER
Leftovers, 1970
ドイツで生まれたLuis Camnitzer(1937-)は、1939年に彼の家族がナチのドイツを逃れて移住したウルグアイで育つ。最も知られている作品《Leftover》は、ウルグアイで行われた拷問と関連付けられている。80個の段ボールからなり、それぞれが手術用ガーゼで硬く包まれ、血痕に見立てた樹脂が付着している。1968年から72年まで、ウルグアイは社会不安の時代が続き、反体制派は拷問を受け手足を切断されることがあった。

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Image via Tate

CILDO MEIRELES
Insertions Into Ideological Circuits (1970-76)
1948年リオデジャネイロで生まれたCild Meirelesは、インディヘナ保護局の仕事をする父親とともに子どもの頃からブラジル中を巡る。父親は、子どものCildoを地方のブラジルやツピ族の信仰を触れさせた。1970年に制作された《Insertions into Ideological Circuits》は代表作。この時代のブラジルの美術家たちは、政府から少しでも政治性のある作品jは検閲を受けていた。Meirelesは、検閲を逃れて世界中の観者に届くように、二つの《Insertions into Ideological Circuits》を制作している。

Cildomeireles

MARIA EVELIA MARMOLEJO
コロンビア人アーティストのMaria Evelia Marmolejoは、自身の肉体に暴力を加える過激なパフォーマンスで知られているMarina Abramovic(ユーゴスラビア出身、1946年生まれ)ほどの過激さはないが、本稿で既に紹介したアーティストより少し若い世代ながら、フェミニスト・パフォーマンスでは前例のない活動を行った。1981年、コロンビアで最初のフェミニスト・パフォーマンス作品を発表し高い評価を得て、Marmolejoの作品は、コロンビアやラテンアメリカにおける環境保護や政治的抑圧から、女性の役割、女性の身体表現や女性の身体の象徴的な意味までにおよぶ問題に取り組んだ。

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Image via Art Nexus

MoMA 「Latin American Artists of the Twentieth Century」展覧会カタログ

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Latin American Artists of the Twentieth Century
Hardcover: 424 pages
Museum of Modern Art; 1993)
9.5 x 1.2 x 11.5 inches

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2018年10月28日 (日)

《骸骨の聖母 Santa Muerte》 メキシコ「死者の日」を前にして

 キリスト教の行事であるハローウィンが、ここ数年日本各地で盛大に行われている。日本人は、年間を通して、仏教徒、神道の信者、キリスト教信者と、信徒の姿を変えまくっている。

 今年、映画「リメンバーミー(原題はCoco)」が日本で公開されたが、その観客動員数の累計は210万を超えていると言われている。天然色(表現が古い)に満ちた「死者の国」に迷い込んだミュージシャンを夢見る少年ミゲルが、「死者の国」のガイコツたちとの冒険を描いたファンタジー映画だ。この映画は、メキシコの伝統行事「死者の日」を基にしている。

 今頃のメキシコは、11月の1日と2日の「死者の日」に向けて盛り上がっている。この最も土着的なお祭りを日本で流行らしたほうが、ハローウィンよりもよいのではないのか常々思っている。むろん、この「死者の日」も、現代にいたっては、お菓子メーカーや仮装業者にとっても商機であること確かなのだが。「死者の日」は、日本のお盆に近い。故人(先祖)を敬い、祭壇にお供え物をし、故人(先祖)のお迎えすることは同じである。メキシコ各地によって趣向の違う祝い方があるので、楽しみ方はいろいろです。

 下記の動画は、日本語で簡単に「死者の日」を紹介しています。

 ところで、「死者の日」の流れと異なる民間信仰がメキシコにはある。それは「骸骨の聖母サンタ・ムエルテ(Santa Muerte)」である。骸骨の姿の聖母を信仰するメキシコ人は、2012年現在で300万人を超えているという。「死が日常生活の中に当たり前のように存在している」といわれるメキシコには、骸骨のイコンが豊富だ。

 「骸骨の聖母」を信仰し、その癒しや救いを求める人々の精神生活と、多様な図像表現を紹介する書籍がある。ラテンアメリカ美術研究者の加藤薫(1949-2014)が著した「骸骨の聖母 サンタ・ムエルテ 現代メキシコのスピリチュアル・アート」(新評論、2012年)は、「骸骨の聖母サンタ・ムエルテ」のルーツとその現在がわかる。多彩でキュッチュな骸骨イコンとはどのようなものかも。

 この本を基にした展覧会を2012年に企画開催しました。詳細は下記リンクから。

加藤薫写真展「骸骨の聖母 サンタ・ムエルテ」 
2012年9月25日(火)-10月5日(金)
http://galerialibro-art.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/kaoru-kato-sant.html

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2018年9月14日 (金)

Gonzalo Chillida

Retrato
Foto: W.S. Waintrob. Nueva York

 Gonzalo Chillidaは、1926年1月12日サンセバスチャンで生まれる。若い頃から絵に興味を持ち、1947年マドリッドのサンフェルナンド王立美術アカデミーに入学し、デッサン講義に通います。1951年、見聞を広めにパリに旅たち、1953年までパリに滞在しています。初期の頃は、幾何学的様式、キュビズム様式、抽象絵画様式に影響を受けた写実絵画を制作。

 Chillidaの絵画様式が確立し始めるのは、抽象様式に向かう1950年代終わりから60年代にかけてです。そして、棲家のサンセバスチャンの海や海岸や、バスクの山景、カスティーリャ地方の台地の風景のような現実にあるモティーフを常に置いています。この時代から亡くなる2008年まで、Chillidaの絵は、輪郭をぼやかすスタイル、自由な構図で、油彩の精緻な筆遣いで作り上げています。

 サンセバスチャンのKuba-Kutxa Fondazioaで2016年に開催された大回顧展は、海景画と雲景画の頂点期となる1950年代、60年代の抽象表現による風景画と静物画も含む、油彩、ドローイング、版画、写真130点で、50年間にわたるChillidaの画業を紹介。

Kuba-Kutxa Fondazioa (San Sebastián)での展覧会(22 April – 3 July 2016)カタログ
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GONZALO CHILLIDA
Jose Angel Irigaray, Mikel Lertxundi, Horacio Fernández, Alicia Chillida y Benito Macias
Idiomas: euskara, castellano, inglés y francés
Páginas: 224
Kutxa, 2016
30 €
表紙の作品:《Marina》1978(Colección Familia Chillida Ameztoy)

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2018年9月 5日 (水)

José Ruiz y Blasco

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2018年8月20日 (月)

El cine andaluz independiente llega a las pantallas de El Centro/Diario de Cadiz

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2018年2月 4日 (日)

THE TRAVELING SERIALIZED ADVENTURES OF DON QUIXOTE

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THE TRAVELING SERIALIZED ADVENTURES OF DON QUIXOTE

Musical and Theatrical performance

February 20, 5 PM
Octavio Paz Gallery

Still Waters in a Storm presents The Traveling Serialized Adventures of Don Quixote, a project for which a group of 15 children, ages 7 to 17, are reading and translating Don Quijote de la Mancha from the Spanish original into English and retelling the tale as their own, re-imagining the story of an old man in Spain in the late 1500s as a story of Spanish-speaking immigrant children living in Brooklyn today.

The group’s running translation combines Spanish and English and is being adapted and performed collectively by the kids as a series of brief, traveling "Adventure Plays"  in non-theatrical settings, such as apartments, offices and classrooms, all around New York City featuring original songs written by the kids, who will join us for a performance at the Octavio Paz Gallery on February 20.

Octavio Paz Gallery
Consulate General of Mexico
27 East 39th Street
New York

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2017年12月 5日 (火)

プーシキン美術館展ー旅するフランス風景画 来春開催 Masterpieces of French Landscape Paintings from The Pushkin State Museum of Fine Arts, Moscow

 「プーシキン美術館展ー旅するフランス風景画」(2018年4月14日-7月8日、於東京都美術館)の開催に先立ち、記者発表がありました。

 17世紀から19世紀までのフランス絵画を有するプーシキン美術館(ロシア・モスクワ)から、日本初公開50点を含む65点の風景画を展覧します。なかでも、クロード・モネ26歳の時の作≪草上の昼食≫(1866年)が話題になりそうです。モネがサロンに出品するべく縦4メートル、横6メートルを超えるこの大作はサロンに提出されることなく、後に切り分けられてしまいました。

 「風景」を楽しみながら、旅ができるこの展覧会は春爛漫の頃です。

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写真:プーシキン美術館館長マリーナ・ロシャク さん

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