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2017年2月18日 (土)

1950年代の日本美術-戦後の出発点 Japanese Art at the 1950s: Starting Point after the War

鎌倉・鶴岡八幡宮の境内にあって、「鎌近」の愛称で親しまれていた神奈川県立近代美術館 鎌倉は、昨年3月31日で美術館としての活動を終了した。1951年11月17日に、日本初の公立美術館として開館した神奈川県立近代美術館は、第1回記念展として「セザンヌ、ルノワール展」(会期11月18日-30日)を開催する。その後、同美術館は、佐伯祐三、古賀春江、松本竣介など近代日本美術における重要な画家たちをいち早く紹介している。

  現在、神奈川県立近代美術館 葉山では、「鎌近」が1951年に開館した頃の日本美術を紹介する展覧会「1950年代の日本美術-戦後の出発点」が、3月26日まで開催されている。

1950年代の日本美術 戦後の出発点 
Japanese Art at the 1950s: Starting Point after the War

会期 2017年1月28日(土)-3月26日(日)
    休館日 月曜日(3月20日は開館)
会場 神奈川県立近代美術館 葉山
    神奈川県三浦郡葉山町一色2208-1
    電話:046-875-2800(代表)
    ホームページ:http://www.moma.pref.kanagawa.jp
開館時間 午前9時30分-午後5時(入館は4時30分まで)
観覧料 一般1,200円 20歳未満・学生1,050円
      65歳以上600円 高校生100円
      ※団体料金あり。
      ※中学生以下と障害者手帳所有者(および介助者原則1名)は無料。
      ※上記観覧料で同時開催中の「コレクション展3:反映の宇宙」も観覧できる。
      ※ほかにも割引制度あり。詳細については同美術館まで。
主催 神奈川県立近代美術館

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  1951年にサンフランシスコ講和条約の締結があり、翌年の同条約発効により、日本占領が終結し、主権回復が認められた。1950年代は、まだ戦争の傷跡絶えぬ時代であるとともに、自由を謳歌できる時代の出発点であった。

  1950年代は、戦争体験を背負って葛藤する画家たちがいると同時に、イデオロギーの対立に翻弄されることなく活動を行い独自の世界をつくり出す画家たちがでてきた時代でもあった。

  本展は五つの章から構成されている。第I章「新しい絵画精神のために」では、戦中にすでに中堅として活躍していた岡本太郎、海老原喜之助、村井正誠、山口長男、朝井閑右衛門などの画家たちが、敗戦の失意と復興の希望とを抱きながら、どのように再スタートを切ったかをたどる。

  神奈川県立近代美術館の開館記念として開催された「セザンヌ、ルノワール展」のポスターが展示されている第II章「鎌倉近代美術館の誕生」
  土方定一、今泉篤男、河北倫明、瀧口修造ら日本美術家連盟の14人によって選出された若手作家たちを紹介した「今日の新人・1955年展」のポスターには、向井良吉の《アフリカの木》(1955年)が使われている。同展の選出作家32人には、向井以外に毛利武士郎、山口勝弘、福島秀子、田中岑、池田龍雄、浜田知明がいる。いずれも本展に出品されている作家たちである。ほかに、堀内正和《線A》(1954年)、辻晉堂《迷盲》(1957年)、木内克《手のあるトルソー》(1958年)、斎藤義重《鬼》(1957年)などの神奈川県立近代美術館の所蔵品が揃う。

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「今日の新人1955年展」ポスター 1955年 神奈川県立近代美術館蔵

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田中岑≪女の一生≫1957年 神奈川県立近代美術館蔵
(「鎌近」の喫茶室に制作した壁画作品。現在、葉山館の講堂前ホワイエに移設されている。)

 戦後、金山康喜、田淵安一、野見山暁治、岡本半三、浜口陽三、今井俊満らが、「美術の都パリ」に向かう。第III章「国際化と1950年代パリの日本人画家」では、金山康喜《静物(コーヒーポットのある静物)》(1954年)、岡本半三《ラ・テュルビ》(1954年)、田淵安一《神の手》(1954年)、野見山暁治《ノルマンディの子ども》(1955年)などやパリ在住の海外作家たちによって結成された「コブラ」と交流した田淵安一や菅井汲の作品も展覧できる。

  鎌倉に神奈川県立近代美術館が開館する前日(1951年11月16日)に、新しい種類の芸術集団「実験工房」がデビューした。画家、写真家、照明家、映像作家など、様々な分野の若手芸術家たちから構成された集団を、詩人であり美術評論家の瀧口修造は、「実験工房」と命名した。3年後の1954年には、吉原治良がリーダーとして、若手美術家たちの「具体美術協会」が結成された。
  第IV章「新人の登場―「実験工房」と「具体」を中心に」では、「実験工房」から、北代省三≪モビール・オブジェ(回転する面による構成)≫(1953年)、山口勝弘(構成)・鈴木博義(音楽)オートスライド「試験飛行家W.S.氏の眼の冒険」(1953年/1986年)、松本俊夫(監督)・新理研映画『銀輪』(デジタル復元版・三色分解アナログ合成版)(1956年)など、そして「具体」からは、白髪一雄≪作品III≫(1954年)、具体美術協会≪舞台を使用する具体美術 第1回≫(1957年)などの展示がある。
  1956年に、東京・高島屋で開催された「世界・今日の美術展」で紹介されたアンフォルメルの画家たちのひとりであるジョルジュ・マチウが、日本で公開制作を行った。その時の作品≪豊臣秀吉≫(1957年)を吉原治良がもらいうけている。本展では、当時の公開制作の映像上映とともに、本作品を見ることができる。

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映画『銀輪』(監督:松本俊夫、制作:新理研映画)1956年 東京国立近代美術館フィルムセンター蔵

  サンフランシスコ講和条約が1952年に発効し、日本の主権は回復されたとはいえ、条約によって米軍の日本駐留は継続されていた。米ソ冷戦の始まりや朝鮮戦争勃発の社会的、政治的状況に対し、多くの美術家たちが反戦や平和、米軍基地への反対を訴えて立ち上がり、自らの制作の姿勢と行動でそれを示そうとした。
  第V章「社会へのまなざし」は、若手美術家たちの間で高まった反戦、反画壇の機運から、結成された団体や展覧会に参加した池田龍雄や山下菊ニらの作品を紹介する。池田は、米軍基地反対闘争を題材にした作品を経て、≪仮面≫(1959年)で人間の内面を描き出した。社会的事件の取材をもとにした「ルポルタージュ絵画」を描いた山下は、≪松川裁判(機関車は知っている挟まれた俺)≫(1959年)や≪あけぼの村物語≫(1953年)などを残している。浜田知明は、戦争の惨禍を振り返る版画シリーズ<初年兵哀歌>を、日系芸術家のイサム・ノグチと版画家の上野誠は、ヒロシマ、原爆をテーマに創作を行った。

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池田龍雄≪仮面≫1959年 横須賀美術館蔵

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浜田知明≪初年兵哀歌(歩哨)≫1954年 神奈川県立近代美術館蔵

  神奈川県立近代美術館の水沢勉館長は、展覧会カタログ掲載の小論「1950年代を再考する。」で、「日本のモダニズムの展開を実地にあたって検証する場として『近代美術館』は誕生している」と著し、同論の最後に、「芸術活動一般と美術館活動との関係性を歴史的な遠近法のなかに正確にとらえ直し、そのこと自体を情報化し、アーカイヴし、未来につないでゆく作業は、まさにいまはじめられたばかりである」と結んでいる。

  「1950年代の日本美術 戦後の出発点」展は、戦後の日本が歩んできた時代を、見る者にとっても心にとどめる(アーカイブする)展覧会となるだろう。

展覧会カタログ
図録表紙
1950年代の日本美術―戦後の出発点
25.9x19.4 cm 96ページ
神奈川県立近代美術館 2017年
1,750円(税込)
ミュージアム・ショップにて販売中

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